京都地方裁判所 昭和51年(ワ)1079号 判決 1981年1月30日
原告
山口さよ子
右訴訟代理人
吉田隆行
被告
医療法人久仁会
右代表者理事
山上仁
被告
下出康利
右被告ら訴訟代理人
杉島勇
同
杉島元
主文
一 被告らは原告に対し各自金一五〇万円及びこれに対する昭和五一年九月一五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は三分しその一を被告らの連帯負担とし、その二を原告の負担とする。
事実《省略》
理由
第一原告両耳の症状及び診療経過
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
一被告下出康利、訴外西村武重及び同浅野ただしはともに京都第一赤十字病院(日赤)耳鼻咽喉科に勤務していた医師であるが、昭和四六年七月頃から被告医療法人久仁会経営の山上病院(院長山上仁)に出向き月曜日、水曜日、金曜日に交代で患者を診察していた。被告下出医師はめまい(眩暈)及び難聴、西村医師は中耳炎の手並及び腫瘍、浅野医師は鼻及び咽喉についての各専門医師であり、被告病院には右三名が来院するようになつてからそれまでなかつた耳鼻咽喉科が新設され日赤耳鼻咽喉科のいわば出先のような形態をなした。
二(一) 原告(昭和三年九月五日生)は、子供の頃から両耳に慢性中耳炎があり風邪をひいた時などに両耳から耳漏の流出する症状があつてその都度耳鼻科医院で受診していた。
原告は、昭和四六年五月中旬にも耳漏があり以前受診したことのある井田耳鼻科医院に通院し耳浴及び薬の点耳を受けていたが、同医院は自宅から遠距離にあること、被告病院が自宅から約五〇メートルの所にあり日赤から耳鼻科の医師が来ていると伝え聞いたことから被告病院に転院することとした。
(二) 原告は昭和四六年八月六日初めて被告病院で左耳からの耳漏の治療のため被告下出医師の診察を受けた。鼻閉・くしやみはなく、鼻腔及び咽頭は正常で眼振(眼球の律動的運動で通常眼球、神経、脳などに病変がある時に顕われる。)の検査をするも異常は認められなかつたが、同医師は、左耳には耳漏及び鼓膜の大きな穿孔があり以前から左耳の耳漏が時々あつたことを聞き、左耳慢性中耳炎と診断し、左耳に耳浴などの処置をし、自宅での点耳薬としてリンデロンA液(ステロイド剤)五ccを交付した。同月八日、一一日の診療では左耳の耳漏は軽快する傾向を示していた。
(三) ところが、昭和四六年八月一三日右耳からの耳漏があり、かつめまい、眼振などの前庭症状があつて右耳の内耳炎の併発が疑われたので、被告下出医師は右耳の耳浴などの処置をしたうえで抗生物質(シグママイシン)、循環ホルモン剤(サークレチン)、めまい平衡障害用剤(メリスロン)等の内服薬を交付した。このめまいは以後同月一八日頃まであり、同年九月一〇日頃、同年一〇月一五日頃、同月二七日頃にもあつた(カルテ((乙第一号証))にはめまいの記載がないが、投薬された薬の種類及び被告下出康利本人尋問の結果からこれを認める。)。
(四) 昭和四六年一一月五日再び左耳から耳漏が流出し始め、同月一〇日から一七日頃にかけて咽頭痛を訴え喉頭粘膜発赤もみられたので左耳の耳浴と喉頭の処置などをし複合トローチを交付したが、同月二四日頃から左耳内耳炎の併発のためめまい、眼振、体の偏倚などの前庭症状が顕われたので同日から同月二七日までの間連日抗生物質(セポラン)等の注射・投薬がなされ、同月二六日頃めまいは消退した。同年一二月中も左耳に耳漏があり耳浴が続けられた。
(五) 昭和四七年一月からは両耳に耳漏がみられたため両耳に耳浴などの処置がなされるようになり、同年二月二八日に一時的に耳漏が治まつたものの、同年三月三日からは両耳から化膿性又は搏動性の耳漏がみられたため被告下出医師は慢性中耳炎の強力な治療と内耳炎の再三の併発を予防する目的で同日から自宅用の点耳薬としてこれまでのリンデロンAに替えてクロマイとリンデロンAの混合液を交付した。なお、同年一月二四日には細菌感受性検査が行われておりクロマイは効果があるとの結果が判明していた。
(六) 昭和四七年三月一三日右耳に大量の耳漏があつた。西村医師は原告の耳漏が一進一退の経過をとる慢性中耳炎であり今後もこのような状態が続き聴力も同様の経過をたどつて増悪をくりかえすおそれがあると判断し、原告に対して日赤で精密検査のうえ手術を受けるよう勧めた。しかし、原告は、耳漏が以前からあるものの特に生活に不便を感じていなかつたこと、知人等に相談したところやめた方がよいといわれ自らも手術に不安を感じたこと等の事情もあつて手術を受けないこととし、しばらく通院を見合せた後同年四月一七日に西村医師に手術を受けたくない旨告げた。
(七) その後昭和四七年六月頃まで小康状態が続いたが、同年七月一四日には真珠腫があり、同年八月四日右耳が急に増悪し、同月一〇日にはめまい、悪心、同月一一日にはこれに加えて眼振も認められた。
被告下出医師は内耳炎の併発更には脳膜炎の併発のおそれもあると考え、原告に対し日赤での精密検査を勧め、同月一四日から一八日にかけて日赤で右勧告を受け入れた原告を診察し、レントゲン検査、聴力検査、前庭機能検査、細菌培養・顕微鏡・感受性検査などの諸検査を試みた。
右診察検査結果は次のとおりである。問診・視診の結果は、両耳に以前から耳漏があり鼓膜は全穿孔しややぬれているが鼻腔・咽頭はほぼ正常である。耳漏の細菌培養検査によりブドウ球菌が検出された。前庭機能検査の結果は、右に前庭障害があり左の前庭障害は軽度であつた。なお、脳膜刺激症状はなかつた。自記オージオメーターによる気導検査が行われ骨導検査は行われなかつたがその結果、右耳は三〇〇HZから六〇〇〇HZにかけて平均約二〇dBの域値上昇(聴力の損失)があり八〇〇〇HZでは約四〇dBの域値上昇があり、左耳は四〇〇ないし一〇〇〇HZでは約七五dB、一〇〇〇ないし三〇〇〇HZでは約六〇dB、四〇〇〇HZでは約八五dB、六〇〇〇HZでは約六五dB、八〇〇〇ないし一万HZでは約九〇dBのそれぞれ域値上昇があつた。
右検査結果を総合すると、右耳は軽度ないし中等度難聴で前庭障害が認められることから内耳炎の併発が考えられ、左耳は高度難聴であるが前庭障害は軽度である。
被告下出医師は右検査診断結果に基づき同年八月一八日抗生物質(ケフロジン)、ビタミンB1剤(アリナミンF)、めまい平衡障害用剤(メリスロン)等の薬剤を投与した。
(八) 原告は日赤での右診療後再び被告病院に通院したが、昭和四七年八月二一日から二五日にかけて、めまい、眼振などがあつたため、同月二一日、二三日にはビタミンB1剤(ビーカップ等)、めまい平衡障害用剤(メリスロン)等の薬剤が投与され、同月二五日、三〇日にはクロマイ点耳薬が交付され、同月二五日、二六日、二八日、三〇日、三一日には抗生物質(ケフロジン等)の筋注がなされた。
(九) 昭和四七年九月六日風邪をひいたため慢性中耳炎が悪化し右耳からの搏動性耳漏があり、同月一一日頃原告は耳が遠くなつたように感じたためその旨西村医師に訴えた。同月二二日にはめまい、眼振が顕われたので被告病院では同月二二日から二五日まで毎日抗生物質(セファメジン)の筋注を続け同月二五日にはめまいが一旦治まつたものの同月二七日には再びめまい、眼振が顕われたのでビタミンB1剤等の薬剤を投与した。同年一〇月二日にはめまい、眼振も治まり以後同年一二月二七日まで特段の変化はなかつた。
(一〇) 昭和四八年一月頃原告は耳が更に遠くなつたように感じ、同月二四日被告病院で被告下出医師担当のもとにオージオメーターによる聴力検査を受けたところ、左耳は聾で右耳にも聴力の低下がみられた。同月二五日日赤で被告下出医師により右耳の気導・骨導両検査が行われた。気導検査では五〇〇HZで約一五dB、一〇〇〇HZで約二〇dB、二〇〇〇HZで約三〇dB、四〇〇〇HZで約六五dB、八〇〇〇HZで九〇dB以上の各域値上昇があり、骨導検査では五〇〇ないし二〇〇〇HZで域値上昇はなかつたが四〇〇〇HZで約三五dBの域値上昇があり、昭和四七年八月中旬頃に実施された検査結果に比べ高音部の聴力が大幅に低下しており感音性難聴を来たしていることが判明した。
原告は昭和四八年一月二九日日赤に入院し(被告下出医師担当)同年二月八日退院し、以後同年六月二三日まで通院してこの間ビタミンB1剤の大量投与を中心としてATP製剤、抗生物質等の薬剤の投与を受け星状神経遮断術(血管障害性疾患に対する治療法)も受けたが右耳の聴力は改善されず徐々に増悪し同年五月二六日の気導検査では二五〇HZで五〇dB、五〇〇HZで三〇dB、一〇〇〇HZで四〇dB、一五〇〇HZでは七五dB、二〇〇〇HZ以上では九〇dB以上の域値上昇があり、現在では右耳は高度難聴ないし聾の状態にあると推認される。
第二知見
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
一難聴とは聴力が正常に比べて劣つている状態をいい、一般的には純音聴力域値が上昇したものをいう。域値の上昇はオージオメーターで測定できるが一〇ないし一五dBの測定誤差を考慮して二〇dB以上の域値上昇が認められる時難聴と考える。域値上昇が三〇dBまでを軽度、六〇dBまでを中等度、九〇dBまでを高度難聴といい、九〇dB以上を聾という。軽度難聴では社会生活に支障はない。難聴の原因として内耳炎、中耳炎をはじめ多種の疾患があるが、原因の所在により外耳性・中耳性、内耳性、神経性、脳幹性、皮質性などに分類し、外耳性と中耳性を合わせて伝音性難聴と呼びその他のものを感音性難聴と呼ぶ。伝音性難聴と感音性難聴との鑑別は、気導検査(気導レシーバーを用いて音波が中耳伝音系の鼓膜、耳小骨を介して伝わる値を測定する。)と骨導検査(骨導レシーバーを用いて音波が骨を通して伝わる値を測定する。)の両方を施行することにより容易になしうる。即ち、伝音難聴であれば気導検査による域値上昇があつても骨導検査による域値上昇はみられず、感音性難聴であれば両検査による域値上昇がほとんど一致する。又、伝音性難聴では六〇dB以上に域値が上昇することはない。伝音性難聴は種々の保存的又は手術的療法で改善するものが多いが、感音性難聴の治療は難しく、ビタミンB1、ピロカルピン、ステロイド、ATPその他の薬剤を症状や時期に応じて用いているが急激に発生する二、三の難聴を除いてはその回復は余り期待できない。
二中耳炎は急性型と慢性型とに大別され、急性型としては急性単純性中耳炎、急性化膿性中耳炎などがあり、急性単純性中耳炎は上気道の急性炎症に続発するものであり、急性化膿性中耳炎は主に病原菌が耳管を経て中耳腔に感染を起こすことによるもので、これは慢性中耳炎に移行する場合もある。慢性型は臨床的に良性と悪性とがあり、前者は単純性慢性中耳炎ともいわれ鼓膜緊張部に中心性穿孔があつて耳漏が多年にわたり排出するが特に悪臭はなく又強いて手術を必要としないが、後者は鼓膜弛緩部に穿孔があつて悪臭ある耳漏を出し頭蓋内合併症を引き起こす危険があるので手術的療法を必要とする。手術的療法としては中耳根治手術(鼓膜、耳小骨を除去し中耳腔を完全に開放する手術)、鼓室形成術(聴力の改善を目的とした中耳手術で慢性中耳炎、外傷などでは鼓膜穿孔、耳小骨の欠損・癒着など伝音機構が障害されるためこの伝音系を再建する。様々な術式がある。)などがある。中耳炎は手術によりほぼ九〇%以上が治療可能である。
三内耳(迷路ともいう。)は蝸牛、前庭、半規管に分かれリンパ液でみたされており、蝸牛は聴覚を、前庭・半規管は平衡感覚を司る。内耳炎の原因には外傷、薬剤、化膿菌、感染、中毒、梅毒などがあり、分類はその範囲によつて限局性、び慢性、炎症の性質により漿液性、化膿性、発病経路により中耳性、血行性、髄膜性にそれぞれ分類される。中耳性が最も多く、臨床上は急性中耳炎からおこる急性び慢性化膿性内耳炎、慢性中耳炎からおこる慢性限局性内耳炎が最も重要である。回転性めまい、悪心、嘔吐、自発眼振、四肢の偏倚などの前庭症状と感音性難聴の蝸牛症状とがみられるが慢性におこる場合はめまいが軽いことがある。抗生物質療法を行うが、中耳性のものでは中耳根治手術で病変を除去し、ときに迷路摘出手術を必要とする。めまいには薬物による対症療法が一時的に有効である。
第三聴力検査と聴力障害発症時期
一聴力検査実施の時期
前記認定のとおり被告病院では昭和四八年一月二四日頃原告に対しオージオメーターによる聴力検査を実施しているけれども、それ以前にこれを試みた事実は認めることができない。すなわち、(一)昭和四六年度の被告病院のカルテによると、その表題部の傷病名欄や診療経過欄中には難聴であつたことの記載はなく、昭和四七年度の病院でのカルテにもその表題部の傷病名欄に難聴の記載はなく、診療経過記載部分中には同年九月一一日の部分一か所にのみ難聴の記載があること(もつともこれは日赤での聴力検査後である。)、(二)成立に争いのない甲第七、第八号証によれば昭和四五年三月から昭和四七年四月までの間の精密聴力検査による診療報酬の保険の点数は一一〇点、簡単な聴力検査は一四点、右時期以降の標準純音聴力検査は一六〇点、簡単なものは一四点であると認められるところ、昭和四六、四七年度の被告病院でのカルテ中の検査料記載部分には一一〇点又は一六〇点という高い点数の記載がなく、又前庭機能検査と推認される検査料(14.9又は一四)のほか簡単な聴力検査の検査料としての一四点が記載された日も見当らないこと、(三)前記のとおり感音性難聴の治療は困難であるがビタミンB1剤、ATP製剤などがその治療薬としてあげられるところ、日赤での診療中の昭和四七年八月一八日に初めてビタミンB1剤が原告に対し投与され被告病院でもその後同年八月二一日、二三日、同年九月二七日にビタミンB1剤が投与されているが、この日赤での診療前に感音性難聴の治療に適すると考えられていた薬剤が投与されていないことが認められる。ところで、難聴は耳鼻科医師として看過すべからざる症状であるから日赤でのカルテのようにオージオメーターによる聴力検査をしたのであればその検査表をカルテに添付しあるいはカルテの表題部の病名欄、主要症状欄あるいは診療経過記載部分中に難聴(更にはその程度、分類等)の記載をするのが通常であり、オージオメーターも安価な器械とは考えられずそれによる検査の実施にはある程度の時間と技術とを必要とすると考えられるのでこの種の検査をしながら保険点数の記入がなされなかつたとするのは理解し難いところであるし、感音性難聴であるとの診断をしながら昭和四七年八月に至るまでこれに対する治療薬剤が全く投与されていなかつたことも不自然であり、被告下出康利本人尋問の結果中、被告下出医師は被告病院で昭和四六年八月一三日オージオメーターによる聴力検査をして左が高度感音性難聴と右が軽度伝音性難聴と診断し、以後同年一〇月、一一月、昭和四七年八月二日、九月一三日、一〇月四日、昭和四八年一月二四日にオージオメーターによる聴力検査を実施し、これらの聴力検査表はカルテに添付せず他の患者の分と合わせてまとめて机の引出の中に入れて保管していたが本件訴訟開始後被告病院に問合わせたところ紛失したとのことであつた旨の供述部分及び証人西村武重証言中右聴力検査についての供述部分はいずれも措信できず(殊に同証人の証言は曖昧である。)、被告病院では昭和四八年一月二四日にオージオメーターによる聴力検査をしたものの(この点は原告本人の供述と一致する。)、それ以外には右聴力検査をしなかつたものと認めるのが相当である。
なお、被告下出康利本人尋問の結果によれば、同医師は適宜簡単な語音聴力検査を実施しその結果を記載した検査用紙をのりでカルテに貼付したがカルテの出し入れの際などにはがれたためか現在は残つていない旨供述するが、当裁判所に提出されたカルテの原本を検分するに、細菌感受性検査(昭和四七年一月二五日受付)、前庭機能検査(同年八月二日、一一日、二五日、九月二七日、一〇月四日)の各検査結果表は残存しており、又、特にのりのはがれた痕跡は認められないので、同医師の右供述部分は措信することができない。
二聴力障害の発症時期程度について
原告は、聴力障害の発症時期が昭和四七年春から夏の間であつてそれ以前に聴力障害がなかつた旨主張し、<証拠>によれば、原告は昭和四六年八月当時難聴ではなくその自覚症状も又他人から指摘されるようなこともなかつた旨供述するけれども、<証拠>によれば徐々に進行する難聴は本人の自覚がない場合も多く軽度難聴(三〇dB以内の域値上昇)にあつては社会生活に支障がないことが認められるから、原告の右供述から直ちに原告が昭和四六年八月頃難聴ではなかつたと断定することはできない。
他方、被告らは、昭和四六年八月六日被告病院受診当時から原告が難聴であつた旨主張し、被告下出康利本人尋問の結果によれば、同医師は昭和四六年八月六日原告から左耳はほとんどきこえず右耳も大分遠いときいたし同月一三日のオージオメーターによる聴力検査で左耳が高度感音性難聴と右耳が軽度伝音性難聴と診断した旨供述し、日赤のカルテには「左耳難聴子供から」との記載も見受けられるけれども、同医師の右供述部分は前記のとおりそれを裏付けるカルテの記載がなく難聴に対する治療薬の投与もなされていないことから直ちに措信し難いし、日赤でのカルテ中の「左耳難聴子供から」との記載部分は原告本人からの問診結果を記載したものと推認されるが原告本人尋問の結果に照らし右記載から原告の左耳が子供の頃から難聴であつたとの認定はし難い。
しかしながら、前記認定の診療経過、即ち原告には子供の頃から慢性中耳炎があつて耳漏を繰り返しており被告病院受診期間中も耳漏が続き、めまい、眼振などの内耳炎の併発を推測させる前庭症状が再三再四繰り返されたことと昭和四七年八月中旬及び昭和四八年一月二五日から同年五月二六日にかけての日赤での聴力検査の結果に加え前記認定の知見及び証人西村武重の証言を斟酌すると、昭和四六年八月当時原告の左耳は軽度難聴であつた可能性が高く既に感音性難聴を来たしていたと考えるのが相当であるが、右耳については聴力の損失の有無は断定できず、仮に聴力の損失があるとしてもせいぜい軽度難聴程度でしかもその原因は中耳性(伝音性)のものにとどまり内耳性(感音性)のものではなかつたと推認され、このため原告の自覚症状もなかつたところ、その後の慢性中耳炎の増悪及び内耳炎の再三再四の併発によつて難聴が進行し、昭和四七年八月中旬頃には左耳が高度難聴(四〇〇〇HZ以上で六五dB以上の域値上昇があるので感音性難聴を来たしていると認められる。)、右耳が軽度ないし中等度難聴(気導検査しかなされていず又六〇dB以上の域値上昇もないので伝音性難聴とも感音性難聴とも断定できないが昭和四八年一月二五日の検査結果を斟酌すると伝音性難聴が主で感音性難聴があつたとしても極めて軽度と推認される。)となり、昭和四八年一月二五日頃には左耳が聾、右耳が音域により異なるが軽度から高度の難聴(骨導検査もなされているので伝音性及び感音性の両難聴が併存していることが認められる。)となり、同年五月二六日頃には左耳が聾、右耳が中等度から高度の難聴で明らかな感音性難聴を来たすに至つたものと認められる。
第四被告らの責任
一診療契約及び被告下出医師の地位
原告と被告病院との間で昭和四六年八月六日両耳の慢性中耳炎の診察治療を目的とする契約が締結されたことは当事者間に争いがない。又、前記認定のとおり被告病院での原告の診療には被告下出医師の外、西村及び浅野医師が当つていたが、被告下出医師はめまいの専門医としてしばしばめまいを訴えていた原告を担当して診察しており、日赤での昭和四七年八月中旬頃の診療及び昭和四八年一月二九日から二月八日にかけての入院に関し担当医師であつたことなどに照らし、被告下出医師が被告病院においてその履行補助者として原告の主治医の立場で診療していたものと認めることができる。
二過失の内容と因果関係
1 クロマイ投与について
前記第一認定の事実に<証拠>によれば、次の事実が認められる。被告下出医師は昭和四七年一月二四日被告病院で行われた原告の耳漏を材料とする細菌感受性検査によりクロマイは効果があるとの結果が判明していたので、原告の慢性中耳炎の強力な治療と内耳炎の再三の併発を予防する目的で自宅用の点耳薬としてクロマイを使うことにし、昭和四七年三月三日、四月二八日、五月一二日、八月二五日、同月三〇日、九月一日に原告にクロマイ各一グラムを含有する点耳薬を処方交付した。右にいうクロマイ一グラムはいずれも蒸留水二ccに溶かしたものであつて、三月三日にはリンデロンA五ccを加え、その他の日にはいずれも生理的食塩水一〇ccを加えた。原告は右クロマイを含有する点耳薬を一日二、三回点耳した。
ところで、<証拠>によれば次のとおり認められる。クロマイ(クロラムフェニコール)は一九四七年エールリッヒらによつて発見分離された抗生物質で、かなり広い抗菌スペクトルを持ちグラム陽性菌、陰性菌、リケッチャ等の感染症の治療に用いる。主に静菌的作用でその作用機序は微生物のアミノ酸代謝すなわちタンパク質合成を阻害すると考えられている。その毒性としては、貧血、白血球減少、顆粒球減少、血小板減少等の血液障害が一般的な有害作用としてみられるほか、経口投与では吐気、嘔吐、下痢などが起こり、まれな毒性作用として視神経炎、視力低下、指の知覚異常などがある。昭和四三年八月一四日厚生省薬務局長は各都道府県知事宛に「クロラムフェニコール等抗生物質製剤の使用上の注意事項について」と題する通知を出し、クロラムフェニコールの投与によりまれに再生不良性貧血、顆粒球減少症、血小板減少症等の血液障害があること、新生児や未熟児に投与すればgray syndrome(腹部膨満に始まる嘔吐、下痢、皮膚蒼白等)があること、ときに胃部圧迫感、悪心、嘔吐等の胃腸障害がまれに肝障害があること、本剤の投与により過敏症状が現われた場合には投与を中止することなどの使用上の注意事項を医薬品製造業者らに記載させるよう指導しこの趣旨の周知徹底方を依頼した。ただし、クロラムフェニコールの耳科用外用剤についての使用上の注意事項は「本剤により過敏症状が現われた場合には投与を中止すること」だけである。
以上のとおり一般的にクロマイの副作用として難聴は掲げられておらず、血液障害や胃腸障害の発生も筋注、静注又は内服によるもので局部的外用(点耳用)によるものでもなく、又、厚生省の右通知にも耳科用外用剤の副作用は単に「過敏症状」とあるだけでその内容は示されておらず、その他全証拠によるも一般的に前記程度の投与量によるクロマイ点耳により難聴が起きることを認めるに足りる証拠はない。
むしろ、原告両耳の難聴は前記第三認定のようにクロマイの点耳にもかかわらず慢性中耳炎とこれに基づく内耳炎の再三再四の併発を予防治療し切れなかつたことからくる中耳炎(伝音性)及び内耳性(感音性)難聴の増悪によるものであつてクロマイが難聴の原因とは認められない。従つて、被告下出医師らのクロマイ点耳薬の処方交付と難聴との間に因果関係はなく、同医師の右行為に過失があつたものということはできない。
2 聴力検査等の不作為について
前記第二認定の事実並びに<証拠>を総合すると、耳鼻科専門医としては、耳漏の流出する慢性中耳炎の患者を診療するに当り患者に難聴の自覚症状がなくとも慢性中耳炎の病態、期間、耳漏の性状等に留意し伝音性難聴の有無・程度に十分意を払い常にこれを把握し将来難聴が増悪するおそれがないかどうかを確認するため定期的に聴力検査を実施し、とりわけ中耳炎から内耳炎を併発しめまい、眼振などの前庭症状を呈するに至つた場合には感音性難聴を来たしているおそれもあるから骨導・気導の両聴力検査等を実施し聴力障害の有無・種類・程度を診断してその病状に適した治療をすべき義務があるものと認められる。
これを本件についてみるに、前記認定のとおり、原告は子供の頃から慢性中耳炎に罹患していてしばしば両耳から耳漏を繰りかえし昭和四六年八月六日被告病院初診当時にも左耳からの耳漏があり同月一三日には右耳からの耳漏とめまい、眼振などの前庭症状があり同年九月、一〇月にもめまいがあり、同年一一月二四日頃からめまい、眼振、体の偏倚など明らかな前庭症状が顕われたのであるから、被告下出医師らは遅くともこの頃には単に慢性中耳炎とこれに基づく内耳炎の併発(前庭症状)に対処して抗生物質、循環ホルモン剤、めまい平衡障害用剤を投与するだけではなく、難聴の有無・種類・程度等を確認するため気導・骨導の両聴力検査や昭和四七年八月中旬に日赤で実施したような精密な前庭機能検査を行つてその病状に適した治療を行うべきであつたのにかかわらずこれらの諸検査を怠り昭和四七年八月中旬と昭和四八年一月二四日以降にのみ右諸検査を行つて適切な治療を行う機会を逸したものというべきである。
そこで、更に被告下出医師らが如何なる治療をなすべきであつたか、その治療を怠つたことにより原告に如何なる症状が生じたか(因果関係)を左右両耳について検討する。
(一) 左耳について
前記第三認定のとおり原告の左耳は昭和四六年八月当時既に感音性難聴を来たしていたものと考えられる。そして感音性難聴に対する治療は難しくビタミンB1剤等の薬剤による効果も余り期待できず、現に原告の右耳に対して昭和四八年一月二五日以後同年六月二三日までの間大量のビタミンB1剤等による治療がなされたものの結局徐々に増悪してゆきついには高度難聴ないしは聾に至つているところである。そうすると被告下出医師らが昭和四六年一一月二四日頃に左耳の諸検査を行つて難聴の有無・種類・程度を確認していたとしてもその病状に対する適切な治療をしてその後の増悪を阻止しえたとは認められない。従つて、原告の左耳が聾になつたことについて被告らの責任を問うことはできない。
(二) 右耳について
前記第三認定のとおり原告の右耳は昭和四六年八月当時には聴力損失の有無を断定することはできないが仮に聴力損失があつたとしてもせいぜい軽度難聴程度でしかもその原因は中耳性(伝音性)のものにとどまり内耳性(感音性)のものではなかつたと推認され、昭和四七年八月中旬頃には軽度ないし中等度難聴で伝音性難聴が主で感音性難聴があつたとしても極めて軽度であつたと推認され、昭和四八年一月二五日には軽度から高度の難聴で伝音性及び感音性の両難聴が併存していることが認められる。そして伝音性難聴には種々の保存的又は手術的療法による治療が可能であつて改善するものが多く、本件原告のように慢性中耳炎を原因とするものにあつては鼓室形成術などの手術的療法によりほぼ九〇パーセント以上が治療可能である。そうすると、被告下出医師らが昭和四六年一一月二四日頃に右耳の諸検査を行つて難聴の有無・種類・程度を確認しその後も定期的に諸検査を継続して病状の把握につとめ適期に保存的又は手術的療法を施していればその後の増悪を阻止しえたものと認めることができる。
なお、昭和四七年七月一三日西村医師が原告に対して手術を勧めたにもかかわらず原告は同年四月一七日同医師に対しこれを拒否した事実が認められ、原告が右勧告に従い直ちに手術を受けていたならば右耳の難聴の増悪が阻止しえたと考えられその責任の一端が原告にあることも否定しえないが、右手術勧告は単にこれまでの経過から漫然となされたものであつて被告病院において事前に前記諸検査を実施しその検査結果を積み重ねたうえで右耳の難聴の種類・程度・進行状況等を十分説明した上でのものではないと認められるから、原告が治療に不熱心であつて医師の勧告に従うことなく手術を拒否したことは慰藉料算定上考慮されることはあつても被告らの免責事由になるものとはいい難い。
従つて、原告の右耳が高度難聴ないし聾の状態に至つたことについて被告下出医師の前記不作為との間に相当因果関係があり、かつその懈怠について過失が認められるから、被告病院は債務不履行責任を、被告下出医師は不法行為責任を負い後記損害を賠償すべき義務がある。
第五原告の損害
原告本人尋問の結果によれば、原告はかねてから鞄販売業を営んでいたところ現在では両耳とも聾に近い状態となつて客の対応もできない状況にあり又日常生活にも重大な支障をきたしており聾になつたことによる精神的打撃の大きさは十分想像できる。しかしながら、原告にはもともと慢性中耳炎があつたのであつて、被告らは両耳についてではなく右耳の症状が悪化したことに対し責任を負うに止まるのであり、また被告病院における注意義務違反の態様が聴力検査やそれに裏付けられた適切な納得しうる手術勧告をしなかつたといういわば不作為であること、被告病院においては一応の手術勧告をしていることなどの事実も認められるのであつて、このほか、被告病院における治療経過、原告の年令、職業、家族関係等一切の情況を総合勘案すると原告の請求しうべき慰藉料額は一五〇万円をもつて相当と認める。
第六結論<省略>
(吉田秀文 村田長生 橋本昇二)